その日を生きること
- トーメ
- 2018年10月9日
- 読了時間: 2分

そもそも生活支援ってなんだろか。
今、だいたいの福祉現場が生活把握に留まっている。
多少のリスクを負っても取り組むべきことがあるはず。
2年前、とある利用者さんが医者から余命半年を告げられた時にそう思った。
そしてそれを実証すべくいろんな場所へ同行していろんな話を重ねてきた。
4日前にその彼が息をひきとった。
最後の夜となってしまった時、ワタシは朝まで病室で付き添っていた。
出会って17年、今までみたこともない聞いたこともない弱音をぶつけてきた。
ようやく痛みが少しだけおさまったのは明け方。すると今度は弱音ではなく、希望をぽつりぽつり言い始めた。
ビール飲みたい。
コンサート行きたい。
みんなに会いたい。
それなりに実現してきたつもりだったけど、
まだまだ足りなかったのかもしれない。
久しぶりに「ちくしょう」って思った。
そんな彼の葬儀が今日あった。
彼が息を引き取り途方に暮れていたけど毎日別の誰がの支援があり、ちっとも物思いにふける時間のないまま今日を迎えた。
彼の好きなベンチャーズが葬儀場内に流れた。
あぁ、もう一緒にコンサートいかれないや。そう思うと亡くなった寂しさと支援者として関わることができなくなった悔しさが溢れた。
ワタシの仕事は誰かがその日をその人らしく生きれるよう応援すること。
余命うんぬん言われたからではなく、常にだ。
いつ何が起こるかわからないんだから、その日その日を流さぬように。
ここに来て彼にまた教えてもらった気がした。
よーし。
また明日からがんばろかね!